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Japanese Red Cross Society

「塾長のつぶやき」は、2014年1月から2016年2月まで、19回にわたって、当時多可赤十字病院長であった松浦尊麿医師(松中村塾長)によって「院長ブログ」として書かれた記事です。

第19回 住民活動宣言

多可赤十字病院長 松浦尊麿 / 2016年2月25日

中村町で「松中村塾」が開塾して1年半が過ぎた。

「地域包括ケア」を勉強し、住民としてできることを考えよう、という、おじさんたちの心意気から立ち上がった塾である。

この間、毎月、夜7時過ぎから高齢社会の現状、医療、介護、介護保険制度、他地域の取り組みなどの学習会がしぼむこともなく続けられてきた。 毎回、40人くらい参加するのだが、おじさん、おばさんたちに混じって若い人の姿もみられた。

いつも、とっぴもない質問が出たりする和やかな『お勉強会』であったが、予定した1年間のプログラムの終了日を迎えた。

「よく、まあ、続いたなあ」塾の発起人のおじさんが安堵のため息をもらした。

活動宣言、活動計画案 唱和風景

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第18回 地域を紡ぐ - 「はつらつ健康生活づくり事業」編

多可赤十字病院長 松浦尊麿 / 2015年6月29日

「介護予防」「健康寿命延伸」の必要性が一段と強調されるようになった。

世界に冠たる長寿国になった日本。一方で少子化が進み、高齢者を支えることが家庭においても介護保険財政的にも困難な状況を目の当たりにしてのことである。

「迷惑ばかりかけて、早くお迎えがくればいいのに・・・」。診察を受けにきたにもかかわらず、そう口にしなければならない複雑な心情。高齢者の心も圧迫している。

人様の負担にならないよう、要介護にならないよう自助努力をしよう。このことが大きなテーマになっているのだが、「介護予防」という言葉の響きには、ことかように悲壮感がただよっている。

そういうこともあって、私は以前から「介護予防」という言葉に若干の違和感をもっている。 人様の迷惑・・・、は別として、一度しかない生涯。 自分がしてきた、これからしていきたいことを出来るだけ長く続け、生きる意欲を失わない生活の維持が必要なことはいうまでもない。

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第17回 医療モデル・生活モデル対峙論から新たなモデルへ

多可赤十字病院長 松浦尊麿 / 2015年4月8日

近年、医療モデルと生活モデルを対峙させながら、ケアにおける生活モデルの優位性が論じられてきた。 介護を前面に打ち出した介護保険制度の創設の中で、あるいは、その後のケアマネジメント、ケアプランのあり方をめぐって、その論調が顕著になったように思われる。 それが、WHOの国際生活機能分類の思想や、ケアの場における過度な医療対応を排除しようとする医療政策的、介護保険政策的思惑、福祉領域の専門職の懸念も絡みながら、医療モデルから生活モデルへの転換が主張されてきた。

しかし、本来のケア概念からすれば、このような対峙的優位性論自体が包括的視点を欠くものと考える。

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第16回 父性・母性原理と地域ケア

多可赤十字病院長 松浦尊麿 / 2015年3月3日

一神教に由来する欧米の「父性原理」思想においては、人間の営み・進歩とは、自然を征服することであり、社会生活の面でも、個人の確立、個人差(能力差)の肯定、契約関係、言語的、個人の責任などが重視される。 一方、農耕民族であった日本人の場合、生産共同の「場」への所属、絶対的平等感、一様序列性、非言語的、調整、円環的という点に価値がおかれる「母性原理」思想を基盤とした社会であった。

近年、特に経済を中心としたグローバル化のなかで、日本の社会システムが「母性原理」から「父性原理」へとパラダイムシフトしつつある。

しかし、今日なお、日本人固有のメンタリティ-が「父性原理」に完全にシフトしておらず、日本における政治・経済思想の変化と日本人の精神の乖離が生じていると感じさせることが少なくない。 「父性原理」に基づくシステムは、「切り捨て」、「個人差の肯定」、「契約関係」、「直線的」であり、「法」「制度」は、そういう側面を持たざるを得ない。

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第15回 松中村塾

多可赤十字病院長 松浦尊麿 / 2015年1月16日

病院の南、杉原川を渡ったところに中村町(なかむらまち)という地区がある。そこの有志たちが昨秋、「松中村塾」(まつなかそんじゅく)なる塾を立ち上げた。

「地域包括ケア」を学習し活動を起こす研究会なのだという。

むつかしいことを研究しようとする集団である。 いきさつは、私が以前に書いた本をまわし読みし、自分たちの地域でも、住民が主体的に「地域づくり」にむけた活動を起こしていかなければならない、と思うに至った、という。

塾名は、幕末の長州藩で吉田松陰が主宰し、倒幕により新しい日本をつくる思想を育んだ、あの「松下村塾」(しょうかそんじゅく)になぞらえたものである。 松下村塾を思い浮かべるなどは、画策した人たちの年頃が推してはかられるというものだが、「松」は私の松で、地区名の「中村」を組み合わせたのだそうである。 吉田松蔭を冠したネーミングと同じにされるのは、穴があったら入りたい心境だが、皆、どうもそれに固執している。

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